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7/7 まったり民主主義を始めようカフェ    「あなたにとって、仕事って何? 」 

2022年7月7日の【まったり民主主義を始めようカフェ】のお題は、「あなたにとって、仕事って何? 」でした。

今年1月にすき家でワンオペ勤務中に亡くなられた従業員の方の事例を糸口に、仕事をめぐる様々なことについて、まったりじっくり話し合いました。

「まったり民主主義を始めようカフェ」、民カフェは、結論を急がないで、いろんな人たちとじっくり意見交換をしたり、みんなで新たなアイデアを模索していく場です。

自分とは異なる意見の人を論破したり、批判するのではなく、他の人から学んだり、 ヒントを得たりということを楽しんでいただければと思います。

 

今回の記事の目次

ワンオペ勤務中に亡くなられた女性従業員Aさんの事例

天然資源が少ない日本では、人こそ大切な資源

長時間労働が有効な時代は、もうとっくに終わってる

過酷な労働市場よりも社会保障の充実を

そもそも、何をもって「仕事」と定義するのか?

価値あるものを生み出す人と、それを広く知らせてくれる人の両方が必要

 

cluster.mu

 

ワンオペ勤務中に亡くなられた女性従業員Aさんの事例

 

今年1月、すき家でワンオペ勤務中に亡くなられた女性従業員Aさん(58歳)は、文春が取材したAさんの夫の話では、その日体調不良を訴えていましたが、「急に休んで、他の従業員に迷惑をかけたくない」と言って、無理やり出勤したそうです。

Aさんは、愛犬や愛猫に囲まれながら、一軒家で夫と二人暮らしをしていました。生活が少し苦しかったため、時給が高い夜勤を希望して21時から5時まで働くことが多く、シフトが入らない時には、松屋でも働いてダブルワークの時もあったそうです。

デイリー新潮の取材によると、Aさんは、前日の22時から翌日の5時まで深夜勤務をした後に、続けて5時から朝9時までの予定でワンオペ勤務をしていました。

一緒に深夜勤務をした従業員が、Aさんのあまりにも疲れている様子を心配して、「5時以降の勤務を代わりますよ」と言ったそうです。けれどもAさんは、「大丈夫」と答えて5時からのワンオペ勤務に入ったということです。

すき家では、従業員の安全を守るために、昼夜問わず本部に緊急通報ができる「ワイヤレス非常ボタン」を常時身に着けることを義務化していて、深夜に勤務する従業員向け健康診断の対象であることも、Aさんに通知していましたが、Aさんは健康診断を受けておらず、亡くなった日には、「ワイヤレス非常ボタン」も装着していませんでした。

Aさんの件は、長時間労働や職場の安全管理体制、健康管理の問題など、決して他人事ではないと思った方も多いのではないかと思います。こういったことも踏まえながら、仕事とはどういうものなのか? について話し合っていきたいのですが、日本では、Aさんのように職場の迷惑を考えて仕事を休めない人が多いのでは?

 

今回の対話の要約

 

天然資源が少ない日本では、人こそ大切な資源

 

こういう事件の度に、日本は資源がない説が飛び交って、長時間労働を擁護する人がいるが、日本の資源は人だと思う。日本は一番、福利厚生と最低賃金の底上げをしなくてはならない国なんじゃないか。

いま多くの高齢の方が、年金だけでは暮らせなくて、夜勤や危険な現場で働いている。
賃金が安くて、生活のために長時間働かなければならないということは、果たして社会にとって有益なことなのか?

長時間労働で体力を使い果たしてしまうと、他のことを考えたりしたりする余裕がなくなる。十分な睡眠が取れなくて、健康状態が悪くなったり、体調が悪くても、検診を受けたり病院に行くことができないというような問題も起きてくる。

体調が悪いのに働くと、能率が悪くなる。心身共に健康で効果的に働ける人が多い方が、職場の生産性は上がるのでは。

なぜか日本では、仕事を一生懸命やるというのは、長時間働くこというふうに考えてしまう。睡眠をしっかり取って、すっきりした状態で働いた方が断然効率がよいと思うが、寝ないで頑張るというのが妙に評価されたり、根性論に傾きがち。

 

長時間労働が有効な時代は、もうとっくに終わってる

 

工業化社会では、決められた手順でやれば、決められたものがちゃんと製品として出来上がるという仕組みで、工場労働者が長時間働けば働くほど、たくさんの製品が生産でき、それを売れば収益が上がって、みんなのお給料やボーナスも上がったが、もうそういう時代はとっくの昔に終わっている。

むしろ、新しいアイデアを生み出し、今までにはない新しいものを創るとか、現状の作業を続けるとしても、どうしたら効率的にエネルギーや時間をかけずに同じことができるか工夫するといったことのほうが、今は重要。

すき家などの飲食店チェーンやコンビニを24時間営業にする必要はあるのか?

「24時間戦えますか? 」というバブルの時代なら、夜遅くまで働いた人が食べて帰るとか、24時間起きて遊ぶという人たちのために必要だったのかもしれないが、今は夜間はそんなに売り上げがないような気がする。

24時間営業だと店舗の光熱費や人件費などのコストがかかるし、今はSNSがあって、ネットでもおしゃべりができるので、ファミレスに友人が集まることもだんだん少なくなっている。

競合他社が24時間営業にしているので、止められないというのもあるようで、コンビニのフランチャイズ契約では、24時間営業をやらないと本部からペナルティーを科されたりするが、田舎ではコンビニの照明で周辺の畑の作物が異常を来たすこともある。

 

過酷な労働市場よりも社会保障の充実を

そういうところが、労働市場に見捨てられている高齢者などの働く場になっているという説もあるが、70代とか80代の人の年金が足りないなら、無理して危険な現場とか、夜中に働けというのは社会は異常。その人たちの生活を保障するのは、労働市場ではなくて社会保障ではないのか。

人手不足だから高齢者も働けと言いつつ、日本は派遣会社が異常に多い。労働する人たちの上前をはねる企業は、まっとうな「仕事」をしていると言えるのか? 労働者の賃金の中抜きをする人が多くなればなるほど、労働の現場は人手不足になる。

7次請け、8次請けというような形で労働者の賃金の中抜きをしている人たちが、労働の現場で実務を担えば、人手不足はずいぶん緩和されるのでは。このままでは、社会が潰れてしまう。

 

そもそも、何をもって「仕事」と定義するのか?

 

メンタルヘルスの不調で絵を描いてInstagramにアップするということしかできないという参加者の発言があったが、絵を描くということ自体が、まだ世の中にないものを絵という形のあるものにして、価値を生み出している。

その方の住む田舎では、技能実習生を安い賃金で雇って杜撰に使うということが問題になっている。日本人と同じ仕事をしていたとしても、外国人だから安い賃金しか払わないと雇う側が決めたら、そうなってしまう(正社員と派遣労働者の間でも、同様の差別がある)ので、仕事の価値の大きさは、賃金では計れない。

絵も、画家が生きている間は全然売れなくて、死んでから評価され、高額の値段が付くということはよくある。

ゴッホよりラッセンが好き」というギャグがある。ゴッホは生前は1枚しか絵が売れなかった。でも、ラッセンは小学校か中学校の時から自分でTシャツを売っていて、営業力があり、絵がすごく売れている。

ゴッホが生きていた頃は、フェルメールやモネのような柔らかいタッチの絵の全盛期で、ゴッホの弟が経済的にもゴッホを支えようと頑張っていたが、精神病になってしまった。

ゴッホとあまり時代が違わないピカソは、お金持ちのサロンに出入りして、絵の売り込みに巧みだった。ゴッホは牧師を2年間ぐらいやっていたこともあったがうまくいかず、ピカソのような抜け目なさはなかった。

バンクシーもハリウッドのマネージャーが付いていて、ニューヨーク中に絵を点在させて、「ボクの絵を探してみよう! 」とやったり、美術館に自分の絵を勝手に置いたりと、売り込みがすごい。

バンクシーの描いた壁が取り合いになって、10億とか20億で売れるという現象が起きた時もある。でも、バンクシーも認められなければ、ただの迷惑系の人。人の仕事の価値は、そんなに絶対的なものじゃないと思う。

たとえば研究開発でも、ノーベル賞を受賞するような研究は何十年も芽が出ないような研究だったり、「そんな研究役に立つの? 」と周りから思われるようなことを30年やって、やっと「すごい研究でした! 」となることもある。

そんなふうに30年とか40年やらないと価値が評価されない仕事だってあるわけだし、今すぐどうこうとは決められないことも多い。

価値あるものを生み出す人と、それを広く知らせてくれる人の両方が必要


ゴッホの残された遺族が、彼の絵を必死で売り込んだ。ジブリ鈴木俊夫プロデューサーの口癖も、「高そうな絵を描け」だとか。それでジブリの作品は大成していった。 作品を創ることに専念することができるように、売り込んでくれる人がいないと困る。

アーティストにとって困るだけではなくて、社会にとっても、せっかくゴッホのようなすごい絵があるのに、売り込む人がいないと、誰も知らないまま、人類の損失になったかもしれない。彼の絵を広めてくれた人がいたからこそ、ゴッホの絵は人類の遺産として残っている。

会社で素晴らしい製品開発をしても、それをうまく売ってくれる人がいないと、世に知られないまま、その製品は無駄になってしまう。

ただ、税金を取る側としては、すぐお金になったほうがいい。今すぐ売れないものよりは、すぐ売れるものを売って、税金を納めてほしい。

だから、大学の研究助成金も、すぐお金になる研究以外はダメとか言って、どんどん削減されている。そんなことをしていたら、数十年後にはどうなるのかと心配だし、もう日本からノーベル賞級の学者は生まれないのではないかと思うが、政府は今すぐ税金がほしい。

もう一つ、今すぐ売れるものは、新しいものじゃない。みんながすでに知っているものじゃないと売れない。全く新しい誰も見たこともないようなものが出てきたら、買うという勇気のある人は少ない。売れるようになるまでは時間がかかる。

車のエンジンも、出てきた当初はただのオモチャだった。当時は蒸気機関全盛期だったので、蒸気機関の研究に投資したほうがすぐにお金になった。

でも、内燃機関がなければ、バイクも自動車もできなかった。蒸気機関も初めはただのオモチャで、当時は馬車の研究や良い馬を育てるほうがお金になる時代だった。

新しいものが出てくる前は、すでにお金になるものとされているものにみんな目が行っしまい、新しいものが出てきても、最初のうちはその価値を見極められる人は少ない。

だからと言って、新たらしいものを誰も生み出さなかったら、人類の進歩はないわけで、何百年も前の生活のまま、病気の治療法は少なく、移動手段も限られ、食糧供給が不安定で、みんなの生活は今よりもっとすごく大変だったと思う。

どんどん技術開発をして、サービスもより良いものを生み出して続けることによって、人々の生活は暮らしやすくなってきたのだし、すぐお金にならないからチャレンジしないという人しかいなくなったら、次々と生じてくる新たな問題に人類は対処できなくなってしまう。