2022年8月4日の【まったり民主主義を始めようカフェ】のお題は、「所有と共有」でした。
テレビや電話が町内に一台しかなくて、近所の人たちが見に来たり借りに来ていた時代を経て、家族に一台、そして個人所有になっていく中で、限られた地球資源を守り環境破壊を止めるために、新たなシェアの模索が求められています。
今回の記事の目次
「まったり民主主義を始めようカフェ」、民カフェは、結論を急がないで、いろんな人たちとじっくり意見交換をしたり、みんなで新たなアイデアを模索していく場です。
自分とは異なる意見の人を論破したり、批判するのではなく、他の人から学んだり、 ヒントを得たりということを楽しんでいただければと思います。
今回の対話の要約
シェアと搾取の問題
子育てや介護など経験によって身につく感性や知恵がシェアされていた時代もあった。近所のおばさんが新米ママさんを助けるとか、親戚のおじさんが親に言えない子どもの悩み相談に乗ったりとか。
人に与えることは素晴らしいことだが、搾取されるというのも事実。
サブスク払っても良いから、作品にいろいろ曲を使わせてほしい。桜日和の歌が有名。
搾取する人やタダ乗りする人たちをどうするか?
いろんな会社や事業でも、他社の開発したものをうまく利用して、ラクして開発プロセスを飛ばし、利益にしていく会社とどう渡り合っていくか?
その辺の作戦を練るのは、一人ではなくチームでやったらいいんじゃないか。会社だと開発部門と営業部門と法務部門があって、役割分担をしながら1つのサービスや商品を守ったり広げたりしていく。そういう発想は、フリーランスの人たちも持っていいんじゃないか。
クラウドファンディングの場合も、運営側のほうがそういう視点で利用者に指導している。たくさんの案件の中から選んでもらうためのアピールの仕方や規模の設定などを、しっかり構築していかないといい結果に結びつけるのは難しい。
これで経済的基盤をちゃんと作って、より広めていきたいという時、クリエイティブ性のあるものの共有は難しいが、その中でも大丈夫なやり方とか、大丈夫な部分はあると思う。
クラウドファンディングで制作後、著作権フリーにするとか。
何らかの形や広がりを作っていこうとする時には、チームワークや戦略が必要。
たとえばクリエイターを自分の得意な法律の知識でサポートするなど、様々な側面から応援していく人たちが増えてくると、もっと素敵なことが世の中にいっぱい生まれてくるのでは。
実用新案や特許のように時限法を設定して、たとえば5年後から著作権フリーにするとかも良い。発案者や制作者の元が取れるように設計して、それ以降は多くの人が自由に使える共有材扱いにするとか。
サブマリン特許のように、自分の所で開発したと思い込んでいた技術の特許が取得されていて、その技術で大きく利益を上げた頃に請求されるというトロール訴訟もある。 ソニーのプレイステーションがそれをやられた。
新たな挑戦を多く生む国になるには
新しいことにチャレンジすることを、国が応援するかどうかで、国力に大きな差が出ている現状がある。
日本では、何にでも規制をかけるので、新たな挑戦がしにくい。
何か問題が起きた時に管轄当局が責任を追求されないように、あらかじめ万全の対策を取っておくというお国柄だけではなく、すでに業界を牛耳っている勢力が、新規参入を阻むような政治的圧力をかけているというのがある。
選挙で若い人の投票率を上げて、挑戦しやすい国に変えるしかない。
若い人が声を上げるやり方は選挙だけではない。国会や地方議会をちゃんとウォッチして、そこでやっていることについて政治家に直接意見を送ると、議員さんが県民や国民の声を代表していると胸を張って議会で言えるようになる。
個人情報のシェアについて
住民の個人情報を企業に提供するというシェアが法制化されようとしている。現在、各自治体には、それぞれ独自の個人情報保護条例があり、それを審査するための審議会も、各種の専門家や住民が委員になるなど、自治体ごとに様々なものが設けられているが、去年デジタル関連6法案が通ったので、今までの各自治体独自の個人情報保護条例は来年の3月までで廃止され、全国の自治体の個人情報を一括して国が企業に提供して利活用できるようになる。
デジタル監視法案に反対する法律家ネットワークが声明を出しました!#デジタル監視法案 (デジタル改革関連6法案)に強く反対する法律家・法律家団体の緊急声明#デジタル監視法案の廃案を求めます#デジタル関連法案#プライバシー侵害 #個人情報保護#マイナンバー #監視社会 #共謀罪 pic.twitter.com/g9ZvbW52aT
— 憲法9条を壊すな!実行委員会 (@48daisyukai) 2021年3月17日
その個人情報管理システムを海外企業に任せたりしそうで怖い。Amazon のサーバーで管理したりとか。すでに Google に管理されているけど。
地方自治体の制度に関しては、地方公共団体の自主性と自立性が十分に発揮されるようにしなければならないと地方自治法に決められている。
第八章 地方自治
地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。(地方自治法 第一条の二②より)
シェアと同時に国の自立も必要
気候変動や人口爆発で様々な資源の争奪戦が予測される。
情報だけでなく、食料やエネルギーも自国で管理できないというのは問題。あらゆるものを輸入しなければいけないとか、海外の企業に頼らなければならないという状況では国が自立できない。
輸入先の国との関係が悪くなったり、海上輸送が困難になったり、世界恐慌で輸出できる国がなくなった時など、どんな状況でも自国で必要なものを賄えるように、いろんな仕組みを作ったり、産業を育てることをしていかないと。
減反政策を止めて食糧の国内自給率を上げるべき。米が余っても、日本の米は美味しいので海外に売れる。
小麦粉のように米粉を様々な用途で活用していき、日本古来の発酵食品も産業として振興していくべき。
農業の担い手がいないのは、国が育てようとしないから。農業で生計が立てられるように国が投資すべき。耕作放棄地も所有者個人の問題にしないで、みんなでシェアしてたり活用していくことを考え、積極的に手を打っていくべき。
今のところ、そういう放棄地にはソーラーパネルが設置されまくり、素晴らしかった景観が破壊されたり、土砂災害の原因になるなど全国的に大きな問題になっている。
景観をどうするかもシェアの分野。ソーラーパネルや風力発電、原発など、土地の所有者や立地自治体にのみ裁量権があって、影響を受ける周辺の住人や自治体には拒む権利がないというのは問題。
人の顔を思い浮かべて考えることが大切
何かをシェアしようと考える時、誰の顔を思い浮かべるかが重要。「この人とならシェアしても良いけど、あの人とはちょっと」となるのは、なぜか? 「この人とだと無理だ」と思うのはなぜか? を1つ1つ丁寧に考えてみると、いろいろなことが具体的になっていく。
日本では6人に1人の子どもが満足に食事を取れないという貧しさの中にあるが、政治家は「子ども食堂でなんとかしてください」と言う。それは、その政治家にとって、食事も取れないような子どもたちは身近な人ではないから。自分の子どもとか、親戚とか、友達の子どもとかには、そんな貧しい子どもはいないから、実感できないのでは。
誰がその人の視野に入っているのか? がすごく重要だと思う。今の政治家の人たちの視野には貧しい子どもの実態が入っていないし、感覚的にわからないので、それを何とかしようとは考えないのでは。
何かを議論する時に観念的になったり理屈だけになってしまうのは、そこに関わる人の顔が見えないから。知り合いのAさんが影響を受けるかもとか、Bさんならどう思うかな? とか、あの人たちはこういう法律ができたら困ることにならないかな? というようなことをイメージしながら考えないと、生きている人の存在が無視される。それが一番怖いと思う。