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7/28 まったり民主主義を始めようカフェ     「多様な声を受け止める場とは? 」

2022年7月28日の【まったり民主主義を始めようカフェ】のお題は、「多様な声を受け止める場とは? 」でした。

 

もうずいぶん以前から、八百屋さんや魚屋さんでオススメの旬の野菜や魚の料理方法を教えてもらうようなお客さんとお店の人との交流がなくなり、買い物はスーパーやショッピングモールと通販に、食事は飲食店チェーンでということが普通になっています。

行きつけの居酒屋やカフェで、常連さん同士が顔見知りになったり、お店のマスターやママと世間話をするということも少なくなってしまったのではないでしょうか。

街中には人々の滞留を拒む排除アートが至る所に敷設され、どんな人でも自由に使えるはずの公園や公共施設でも、様々な形での使用制限が広がっている状況にコロナの感染拡大が加わり、人々は居場所を奪われてさらなる孤立を強いられています。

民主主義の基本である人々が集い語り合う「場」を、どうやって回復していくか?  という切実な問題について話し合いました。

 

今回の記事の目次

お金がないと居場所を持てない?

メタバースを居場所にするには

コワーキングスペースの長所

酒席や町内会の集まりの問題点

人が集まって話をする2つの意味

台湾の国民の意見を政策に反映するシステム

岸本聡子さんの杉並区長選

日常的に話し合えるコミュニティの形

政治家の仕事とは?

 

cluster.mu

「まったり民主主義を始めようカフェ」、民カフェは、結論を急がないで、いろんな人たちとじっくり意見交換をしたり、みんなで新たなアイデアを模索していく場です。

自分とは異なる意見の人を論破したり、批判するのではなく、他の人から学んだり、 ヒントを得たりということを楽しんでいただければと思います。

 

今回の対話の要約

 

お金がないと居場所を持てない?

 

コワーキングスペースはビジネスとしては採算性がない。ドロップインが2時間で500円とか、お試しみたいな値段だけど公共の施設より安い。会社登記をしてもらうとか月額会費を支払ってもらうなどの工夫が必要かも。

でも、基本的にフリーランス個人事業主が利用することが多いので、月額何万円も払うのは負担が大きい。

以前は学生も気軽に利用して、コワーキングスペースのマスターと会話したりしていた。ドロップインが安かった頃はそういった交流もあったが、採算が取れなくて値上げになった。

高度経済成長期やバブルの頃のように、交際費や福利厚生費として、会社から会食費や社員のレクリエーション費が出て、幅広い層の人々がその恩恵にあずかるという時代もあったが、今はごく一部の上級国民しか会食や趣味の交流の場に参加できない。

こういう状況下では、改めて公共の復活ということが重要になってくる。みんなが交流する場を公共の福祉としてサポートしていく。たとえば広場を開放するとか、公共施設内に自由に溜れる場を提供するとか。

お金のある人しか居場所がないという状況は看過できない。

メタバースも、パソコンやスマホを持っていて、ネット料金を払える人じゃないとアクセスできなかったりするので、そこに格差が生じる。

 

メタバースを居場所にするには

 

技術的にもデバイドがある。すでにSNSをやっている人でも、メタバースにはハードルがあるという人は結構いる。

VRチャットの敷居の高さを考えれば、Clusterはずいぶん敷居が下がっているとは思う。

Cluster は映像的にすごく美しいので、高い技術が必要なんじゃないかと気後れする人もいる。twitter などに流れてくる Cluster 情報は、イベントに行って楽しかったという写真が多いが、未経験者にもわかる具体的な紹介は少ない。

解像度的にはゲームに似ているので、「ゲームは、ちょっと・・・」という人は参加のモチベーションが低いし、サブカルチャーに接してこなかった人は「私には関係のない世界だ」と思ってしまうかも。

twitter に出てくるのは、アニメキャラがわちゃわちゃしてるような世界観だけど、実はそれだけではない。この民カフェや読書会のように、ローテクでじっくり話し合うようなイベントもあるが、インスタ映えしないのであまりSNSに上げられることがない。

twitter では派手でセンセーショナルな写真ばかりが踊っているので、本質が捉えられていないかも。華やかなイベントに参加して楽しかったというのを見て、「自分は、そういうのには乗っていけないな~」と思う人もいる。

メタバースは使いようによっては、リアルや他のSNSで居場所を見つけられないという人も馴染める多様性や包容力を持っているが、静止画で拡散されるとそういった想像が広がらない部分もある。

各イベントのアーカイブが必要。Cluster のイベント告知だけでは、なかなかわかりにくい。アーカイブがあると、参加する前にそのイベントがどういうものなのかがわかって良いし、自分に合ったところを選択できる。

アーカイブとは少し違うけれど、中学生たちがやっている「Cluster 新聞」では、Cluster での出来事をマンガなどにし、ワードプレスを使って新聞にまとめている。

 

コワーキングスペースの長所

 

コワーキングスペースも、「何それ? 」から始まった。みんなが自由に集まって作業できるようなスペースがあるとは思わなかった。初めて会った人とも交流できるけど、飲み屋さんのように交流すること自体が目的でもないというのが新しかった。

上司に「酒も飲めないと営業ができないからなんとかしろ」と言われて苦痛だった。 酒席か麻雀、ゴルフというオジサン文化は何十年も変わっていないが、お酒を飲まない人たちの交流方法はどんどん変化してきている。そこに大きな文化の断絶がある。

お酒抜きで真面目に作業しながら、お互いが取り組んでいることを語り合えるコワーキングスペースは、自分にとって良い場所だった。

 

酒席や町内会の集まりの問題点

 

お酒が入ると真面目な議論ができない。独特のルールがあって、注いだり注がれたり、気を使わなくてはいけないし、ワーッと盛り上がる時は理屈抜きに乗っていかなくてはいけないとか、クダを巻いたりオイタをする人も許容しなくちゃいけないとか。

無礼講だと言われても、ホントに無礼講だと思ってため口をきくと怒られてしまう。

イヤなのは、そこに力関係が厳然としてあって、それを前提としたうえで楽しい気分にならなくちゃならないということ。特に女性は、そこである種の道具として使われていて、セクハラ親父がいてもニコニコしてなくちゃいけないみたいな圧力がある。

そういう場で重要な取引が決まっていくというのが日本のオジサン文化で、それが今の政治家の体質にもなっている。たぶんオリンピックとかも、そういうノリで、どんどんエスカレートしていった果てがいまの状況なのかな。

人と人とが飲食をともにしながら会話をする場は、本当は親しい人々との和やかな交流や癒やしを得るものであってほしい。なのに、力関係や利害関係が入ってきて、それをうまく受け流しながら、何かしら自分のほうに利益誘導をしていくということがメインになってしまうと、人間らしい楽しい場がどんどん浸食されてしまう。

人との交流に苦手意識を持つ人は、そういうイヤな経験が影響しているのでは。

町内会長の家が溜まり場になって、奥さんがひたすら接待させられるというのもある。クジ引きだったり、順番に回ってきたりという形で町内会長が決められることもあるが、誰かが犠牲になる形でコミュニティーが維持されるのは良くない。

物理空間は負担が大きいかも。

 

人が集まって話をする2つの意味

 

人と人とが集まって話をすることには2つの意味がある。

1つは、その人の心の居場所を作るということ。読書会でも『孤独の科学』という本を紹介したことがあるが、そもそも人間は、1人では生きていけないように進化してきたので、どうしても孤独を癒やさなくてはいけないということがある。

協力し合って生き延びる可能性を高めるという形で人類は進化してきたので、遺伝子や生理学的なレベルでそうプログラムされている。

そういった社会的欲求が満たされないと、不安になり、健康状態が悪くなったり、場合によっては攻撃的になってしまうのは、人間という生物のまともな反応とも言える。 なので、人と人との交流の場は絶対必要。

もう1つ大切な意味は、みんなのことを話し合って決めること。社会を自分たちが暮らしやすいように変えていく話し合いの場であるということ。

いまの日本は民主主義の国なので、江戸時代のように、お上が全部決めて下々は従えばいいというのではなく、国民の側からも、自分たちの意見というのを挙げていかなくてはいけない。

選挙で投票したら、あとは当選した政治家に全権委任するという大雑把なものではすまなくて、もっと細々と、「こういったことは困る」ということを話し合って、より良いやり方を一人一人が考え、みんなで意見交換しながら模索していく場が必要。

 

台湾の国民の意見を政策に反映するシステム

 

たとえば、台湾のデジタル担当相オードリー・タンは、「デジタルは、人と人をつなぐ技術で、それは一人一人の国民が自分の望みを政府に伝えたり、国民同士がディスカッションをして、自分たちのことを自分たちで決めて実現化していくために必要だ」と言っている。

台湾では、すでにそういうシステムができている。↓

 台湾には、選挙権の有無にかかわらず、メールアドレスと台湾の電話番号さえあれば政策に対する意見を投稿できる、<Join>という名前のプラットフォームがあります。これは政府によって運営されており、投稿された意見に対して60日以内に5000人以上の賛同が集まれば、政府が対応することになっています。私も入閣する前から政府のリバースメンターとして設立にかかわりました。すでに台湾の人口の半数ほどのサイト訪問数があり、台湾ではかなり浸透しています。

 (中略)

 台湾では2019年の7月から、大型チェーン店のイートインにおけるプラスチックストローの使用が禁止されていますが、それもこの <Join> に寄せられた16歳の女子高生からの意見がきっかけでした。彼女は台湾のタピオカミルクティーが世界的に有名でありながら、そのためにプラスチックストローが大量に消費され、環境に悪い影響を与えることに警鐘を鳴らしたのです。

<Join> には市民からの提案の他にも、政府が進めるすべての政策について、予算や進度といった情報を公開する機能もあり、随時更新されています。国民は投票によって政治を任せた後にも、政策がしっかり実行に移されているかを監督することができるのです。

 

(「まだ誰も見たことのない『未来』のはなしをしよう」 オードリー・タン[語り] 近藤弥生子[執筆] SB新書 ©2022 96~97ページより)

 

でも日本の場合、これをやると一般の人はあまり書き込まなくて、統一教会とかがバンバン自分たちに都合のいいことを書き込んで、いいねボタンを押しちゃって、統一教会側がやりたいことが実現されてしまうという恐怖感がある。

そういう力関係は、日本だけでなく台湾でもアメリカでもあるが、日本では一般の人の意見があまりにも反映されなさ過ぎ。せいぜい、みんなで署名を集めるぐらいで、それを地方議会や国に請願として提出しても実現の検討が行われるかどうかはわからない。

日本では声の大きい人の意見ばかりが通って、声の小さい人の存在はないことになってしまっているし、<Join>のようなシステムも諸刃の剣になるのでは。

どうやって国民一人一人が望むような行政や政策を実現していくのか? は非常に回りくどいというか、なかなかないというか、どうしたらいいんでしょう? ということを話し合う場があるといいのだけれど。

ホントはそのために議員がいる代議制のはずなのだが、みんなあまり期待していない。選挙に行かないというのは、そういうこと。応援したい議員がいないとか、信用できる議員がいないから投票しないとなると、ますます機能しなくなる。

議員も、票集め競争に躍起になるビジネスマンになってしまった。

 

岸本聡子さんの杉並区長選

 

新杉並区長の岸本聡子さんのやったことはすごく参考になる。杉並区長選の中で、彼女はまず自身のビジョンをしっかり示したうえで、区民の話を徹底的に聞きながら、マニュフェストを作り直していくということを行った。

miyagi-suidou.hatenablog.com

 

首長さんに民主的なビジョンと力量があって成功しているのは、他には泉房穂明石市長がいる。子育て応援政策で明石市の子育て世代増を成功させた。

www.izumi-fusaho.com

 

岸本聡子さんのような発信力のある人に場を作ってもらうだけではなく、一般の人たちもそれぞれ場を作って、そこで集約された意見を挙げていけば、統一教会みたいなコミュニティの意見だけが通るということがなくなるのでは。この民カフェもそういう場だと思っている。

杉並区では、前区長にあまりにもたくさんの問題があったため、その問題ごとに取り組んでいた住民たちが、新しい杉並はこういうふうにしていきたいというマニュフェストをしっかり作り込んでいた。

岸本聡子さんは杉並区民が呼んできた人だが、オランダのシンクタンクに勤めていて、水道民営化などをメインテーマとする研究員だった彼女を、杉並区の人たちはそんなに前から知っていたわけではなかった。↓

海外生活が長く、杉並区長選の2ヶ月前に帰国した岸本聡子さんは、日本の選挙のやり方など全然知らなかったが、同じく選挙のプロではない住民たちと一緒に、手探りで対話を重視する草の根の選挙活動を展開した結果、4期務めた現職の区長に186票差で勝った。

大規模な組織のトップダウンが一番良くない。

杉並区はこういった草の根の対話ができる居場所がいっぱいある地域だった。児童館や小さなお店がたくさんあって、住民がそこでくつろいだり世間話をできる文化があった。

 

日常的に話し合えるコミュニティの形

 

岸本聡子さんのようなスーパーマンがいなくても、みんなで集まって地域のこととかを話し合えるようになるのが理想だが、「問題をパーッと解決してくれるスーパーマンが、どこからか現れてほしい」という傾向が日本人にはまだまだある。

そういう他力本願ではなく、こうやって日常的にいろいろなことを話し合えるコミュニティがあってこその民主主義じゃないか。

商店会の実質的幹部の平均年齢は70歳以上といったような実態もあって世代間ギャップが大きく、年上の人に対する気兼ねがあったり、話し合いと言っても若い人が参加しにくいというのがある。

若い人だけのグループや立場を共有する人同士のグループなど、多様な小さな集まりがたくさんあって、それぞれのグループの中で自分たちの意見をまとめつつ、違うグループとも意見交換をすれば良いと思う。

本田技研のワイガヤというミーティングは、新人もベテランも自由に発言できる場で、そこで話されたことは最終的にはトップに上げていくという非常に風通しの良いシステム。そういう小さなワイガヤを地域にいっぱい作って、住民の意見を吸い上げていくという形にできないか。

ゲーム業界は結構ラフ。ゲーム制作者のコミュニティは、年齢に関係なく話し合えた。テック系もそうかもしれない。リアルで集まっても、ゲーム系は関係性がフラット。

いろんな居場所、いろんな基準で意思決定ができる仕組みがあって選べたり、その時々で変えたりできるといい。

昔は年功序列の仕組みのほかに、山に入ると実力主義の別社会があったり、村に複数の包摂の仕組みがあったというのを読んだことがある。

いろんな集団があるということを、みんなが意識していたというのはいいと思う。今は、自分の生活圏以外のことをほとんど意識していないし関心がないというのが問題。

普通の生活者がそうなっているのは仕方がない部分があるが、政治家とか為政者がそうなっているというのは、絶望感しかない。

 

政治家の仕事とは?

 

本当は、いろんな集団とか様々な利害関係にある人たちの意見を集約して、意見の対立とかを調整するというのが、政治の仕事だったはず。

いまの政治家は、調整役ではなくて、お金や票を入れてくれる支援者の代弁者になっている。調整役は誰なんだろう?

政治家の人たちも、直接は自分の得にならないかもしれない人たちの意見を、どんどん聞いて歩いてほしい。

逆に、たくさんの人が自分を応援してくれているということを可視化するために、動員をかけたりしている政治家のほうが多いのは、本末転倒だと思う。

むしろ、どこにも所属していなくて独りぼっちで困っている人の声をすくい上げるのが、政治家とか行政とか公共の仕事ではないか。

そういう状況だからこそ、一般の人は自分たちで団結しないといけないのでは。